景行天皇皇子日本武尊能褒野御墓
日本武尊は景行天皇の命をうけて、大和朝廷に従わない豪族を征伐するために、九州から東北まで転戦した。 東国からの帰路に、伊吹山中にて病をえて能褒野においてついに亡くなられ、埋葬した墓から尊の魂が白鳥となって大和へ飛び去ったと
「古事記」 「日本書紀」 に記され、 明治12年(1879)内務省によって現在の御墓が、日本武尊墓と定められ、現在も宮内庁によって管理されている。
御墓は、かって 「丁字塚」 と呼ばれた全長90mの前方後円墳で、北勢地方最大の古墳である。 御墓に隣接して、日本武尊、弟橘姫命、建貝児王を祀る能褒野神社と、16基の後期古墳がある。
亀山市は、江戸と京、大坂を結ぶ道路であった旧東海道が通り、城下町、宿場町として栄えてきた。 このことから、市内井田川町から小野町にいたる約11キロの東海道に残存する亀山城跡、 野村一里塚(国指定史跡)などの歴史遺産を組込み、白壁、土塀、史跡案内板、休憩所、歴史広場などの整備を図り 東海道としての情緒あるふるさと街道 「江戸の道」 として整備したものである。
亀山宿・江戸の道説明
旧井田川小学校跡碑
やや面長の二宮尊徳像