子安地蔵菩薩
地蔵菩薩
宝篋印塔
昭和30年(1955)の常夜燈
観音菩薩座像
御堂内の毘沙門天
毘沙門堂
鈴鹿市西部に位置する小田町の極楽山地福寺は、その所在地を小田町道心がいどうと呼び、その昔道心が多く修業せし処といわれている。 当時は、七堂伽藍の備わった寺といわれ、現在も中堂、そして道心達の風呂のあった場所として、風呂の谷等その名残りの地名が残されている。
永禄11年(1568)織田信長の戦火に遭い焼失。観音堂は常念仏堂として各誉上人の発願により延寶5年(1677)に建立され、 中央に歴代亀山藩主の帰依された阿弥陀如来をまつり、その両翼には後に江戸の鈴木市郎ヱ門が東海道往来の人々の安全と家族の菩提を弔う為に、
元禄12年(1699)に西国三十三所の観音菩薩像三十三体を寄進され 東海道の道すがら多くの人々の立ち寄りご利益をいただき、 また毎月17日の縁日には門前に市が立つほどのにぎわいであった。
毎年8月17日は盛大に盆おどりを行い、近郷より人出も多く現在もにぎわっている。
毘沙門堂は、身丈1m60㎝の青銅造り毘沙門天をまつり福徳をさずける、七福神の一つとしても信仰を集めている。
9月20日の縁日には、昔は踊りもあって、にぎわっていたと伝えられている。
堂内には鎌倉時代の作といわれている青面金剛も安置され、その昔庚申さんとして広く庶民の信仰の対象となっていた。
寺宝として江戸時代初期の二十五菩薩像も伝わっている。
小田町寺社の由来
地福寺本堂
本堂に掛かる極楽山の扁額