承応年間(1652-54)智詮和尚の開基とされ、本尊は阿弥陀如来である。 当時は、現在地にはなく別の場所にあったが、安政元年(1818)の大地震により倒壊した。 その結果、同じ村内にあって倒壊をまぬがれた平建寺を買収して現在地に移転した。 平建寺は山号を白浪山と号し、高野山真言宗の寺であった。 本尊は延命地蔵尊であり中冨田町の氏仏として信仰され、地蔵堂に祀られている。 毎年地蔵盆には町民が集い、初盆灯籠焼き供養など盛大な会式が執行されている。
 平建寺から伝わる 「不許魚肉五幸入門内」 「白浪山平建寺」 の石柱が残っている。 明治32年宇田川妙教上人の発願により、鐘楼堂が建立されたが太平洋戦争の時代に軍の命令により供出を余儀なくされ、永年村人に親しまれた鐘の音は止んだ。 梵鐘のなくなった鐘楼堂は、昭和19年の東南海地震で倒壊し、土台石を残すのみとなった。 現在地は麻生はつの遺志により、隣地の屋敷跡の寄進を受け拡大されたが、その功績を後世に伝承するため境内に 「麻生はつ屋敷跡」 の碑が建っている。
 昭和48年、檀信徒の熱意により誓吽上人代に現在の本堂が新築され、また平成3年には、地蔵堂と山門が新築され現在に至っている。

明治33年鐘楼が建てられたが、昭和18年(1943)に太平洋戦争のため梵鐘が供出され、昭和19年の東南海地震により倒壊した。

隣地の屋敷跡を寄進した功績伝承のため昭和27年(1952)に建立された。

旧鐘楼堂4本柱礎石

麻生はつ屋敷跡碑

地蔵堂

真言宗白波山平建寺本尊延命地蔵尊の標柱が建っている。

常念寺山門

常念寺由緒

山門に掛かる富光山の扁額

平成3年に新築された鐘楼

地蔵堂

本尊阿弥陀如来を祀る常念寺本堂