庚申堂
一面六臂の青面金剛
弁天堂
一面八臂の弁財天
当山は行基菩薩開創、平安時代には醍醐寺座主定海僧正御住坊であった。永禄8年(1565)松井親蔵法印が千種氏の庇護のもと、一族の守り本尊であった不動明王を奉じ氏寺として寺院を再興された。元禄3年(1690)中興第四世海養法印は寺地を今の地に定め、寺号を大聖院と改めた。中興第七世快養法印は神戸藩内の寺社仏閣から選ばれて、延享3年(1746)神戸城地鎮祭の祈祷を執り行いし名僧であった。醍醐三宝院直末、神戸藩主御祈祷寺として信仰を集めたが、明治初め廃仏毀釈の風潮激しく寺領地を失い、境内も現在の範囲を残すのみとなり、総本山醍醐寺顧問としても活躍した中興第十五世秀健僧正は、奮起して戦後の宗教界及び当山の復興を図った。
本尊不動明王(秘仏)は、鎮守府将軍源頼義公、義家公父子の念持仏で、平安後期の代表的尊像として、大正四年(1915)国宝(重要文化財)に指定されている。
大聖院由緒
大聖院本堂
大聖院山門
地蔵堂
十三重塔
国寶不動尊碑
本堂に掛かる大聖院の扁額