信綱かるた道説明
佐佐木信綱短歌
道標と石薬師案内
東海道石薬師宿碑
信長記には、天文9年(1540)冬、足利将軍が諸国に命じて40町を一里として一里塚を築かせ、その上に松と榎を植えさせたという。〔一町は約109m〕
家忠日記には、慶長9年2月(1640)秀忠が東海道、東山道、北陸道の三道に一里塚を築かせ、一里を36町に改めたという。
くたびれたやつが見つける一里塚 (江戸時代の川柳)
平成4年10月 石薬師魅力再発見委員会 〔鈴鹿市市制五十周年記念事業〕
石薬師の一里塚跡
石薬師の一里塚址碑
石薬師の一里塚説明
町内安全と刻まれた石燈籠
これより北1.8㌔の間に信綱かるたの短歌50首を掲示している。 途中、石薬師寺(信綱・西行・一休・芭蕉等の歌碑句碑など)、蒲冠者範頼社・蒲桜、浄福寺(弘綱記念碑・幸綱歌碑)、佐佐木信綱記念館、本陣跡、地蔵堂などがある。
(佐佐木信綱顕彰会)
生家にゆくと 弱かりし母が 我をせおひ 徒渉せしか 此の甲斐川を