水子地蔵尊

延命子安地蔵尊が祀られた地蔵堂内陣

地蔵堂

石薬師寺薬師堂由緒

石薬師寺由緒

石薬師寺薬師堂 (本堂)

石薬師如来碑の建つ石薬師寺山門

参道中央に建つ地蔵菩薩の百度石

本尊石薬師如来・西国薬師第三十三番と記された冠木門

瑠璃光橋近くの石薬師寺裏門

弘法大師・不動明王・役行者が祀られた大師堂内陣

大師堂

蝉時雨 石薬師寺は 広重の 画に見るがごと みどり深しも

名も高き 誓ひも重き 石薬師 瑠璃の光は あらたなりけり

無病にと 頼みすゑける 石薬師 かたき祈願を 忘れ給ふな

三界萬霊供養塔

佐佐木信綱歌碑

一休禅師歌碑

江戸初期の絵師・岩佐又兵衛歌碑

 聖武天皇の御宇神亀年間(726)高僧泰澄大徳が森の中に霊光を放つ巨石あるを認め これ金輪際より御出現の霊佛なりと一宇草堂を覆い置き給う。
 その後弘仁3年(812)弘法大師自ら薬師尊像を彫刻し開眼供養せられしより 霊験いよいよあらたかにし時の嵯峨天皇の叡聞に達し勅願所となし寺領を寄せられ西福寺と称せられしだが 天正年間(1574)の頃兵乱に会い悉く焼失した。 西より本尊は光明赫赫として灰燼の中に立たれた 慶長年間(1601)神戸城主一柳監物直盛公深く霊験を感じ本堂再建され今日に及べり當地は高富の郷と称せられしを駅立の際「1616」尊號に因み石薬師駅東海道53次の内44と呼んだので高富山石薬師寺と改称せらる。  名匠一立斎宏重の画に當寺の全景を以て写す寿永年間(1185)蒲の冠者源範頼ここに戦勝を祈願。馬鞭倒に芽ざし蒲桜の名を今に留める。又西行法師・一休禅師・上島鬼貫・澤庵禅師・林羅山・深草元政・烏丸光広郷・松尾芭蕉・李渓・佐佐木信綱があり、いずれも沸徳を賛嘆し霊光に随喜し若しくは景致を賞揚している。

 寺名は本尊石薬師如来をまつることによる。 戦国の戦火のあと神戸城主一柳監物により、寛永6己巳年(1629)再建された。 建物の規模は桁行3間、梁間4間、寄棟造。 本瓦葺きて一間の向拝がつく。市内で最古の寺院建築。 石仏は花崗岩で像高190cm寺伝によれば、弘法大師が地面生え抜きの石に刻んだという。 浅い線彫り、ほおはゆかたで、薬師仏として親しまれてきた。 平素は秘仏であるが、12月20日の 「おすす払い」 には、洗い清められる。平安後期の作。
    平成19年12月  鈴鹿市教育委員会

天満宮 (中に天神社と稲荷社の小社がある)

鐘楼

手水舎