水沢道標説明
大正12年(1923)の水害まではこの横の道が水沢方面に通じる道路であった。 このため、今から約200年ほど前に大坂の古銭収集家の河村羽積という人が東海道から水沢道が分かれる角に立てたのがこの道標である。
水沢の楓谷は紅葉の名所であり、昔は菰野藩主の土方公が必ずこの紅葉を愛でられたと言う。
この碑の表面には 「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」 裏面には 「猿丸大夫名歌古跡すい澤へ是ヨリ三里」 と彫られている。
猿丸大夫の名歌とは 「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」 と詠まれたものである。
猿丸大夫名歌古跡すい澤へ
是ヨリ三里
水澤は藍より出て紅葉哉
大坂 羽津み