佐佐木信綱記念館は、「佐佐木信綱資料館」 「生家」 「土蔵」 「石薬師文庫」 から成り立っています。
佐佐木信綱は明治5年6月3日、この地に生まれ、6歳まで石薬師で過ごしました。その後一家は松阪へ移り、信綱が11歳の時に東京へ移ります。 この時、「生家」 は他家の所有となり、鈴鹿市和泉町に移築されました。
昭和7年には信綱は還暦を記念して 「石薬師文庫」 を贈り、地域の図書館として現在でも多くの人々に親しまれています。 そして、信綱は73歳から熱海へ移り、昭和38年12月2日、92歳でこの世を去りました。
信綱の没後、昭和45年12月12日、「生家」 を再び現在の場所に移築し、佐佐木信綱記念館が誕生しました。 その後、昭和61年5月28日には、展示施設等を備えた 「佐佐木信綱資料館」 が開館し、今日に至っています。
平成17年9月 鈴鹿市
当資料館は、明治、大正、昭和にわたり、歌人、歌学者として万葉集研究の最高峰を究められた佐佐木信綱博士の業績を顕彰するとともに、 市民の文化の向上と広く文学の研究に寄与するため、博士生誕の地に建設したものです。
市では、今回の開館を機に、佐佐木家をはじめ、博士ゆかりの方々から寄贈、寄託を受けた品々のほか、これまで生家に保管されていた資料一切を当館に収納しました。
資料の中には、博士の遺愛品、御下賜品、書簡、作歌、原稿のほか、書籍には 「日本歌学史」 「和歌史の研究」 「近世和歌史」 の主著三部作をはじめ、
歌集 「おもい草」 「山と水と」 など多数を保管、展示しています。
昭和61年5月 鈴鹿市
佐佐木信綱記念館説明
目とづれば ここに家ありき 奥の間の 机のもとに 常よりし父
佐佐木信綱資料館説明
生家前の信綱歌碑