本堂内陣

 永承2年(1047)真言宗長生寺として創建されたと伝えられ、永正年間(1504-21)に後藤采女正藤勝が後藤家の菩提寺として自分の法名)采女公殿四品釈成満大居士)に因み米田山成満寺と改称し、専修寺第10世真慧上人の弟子の専察を迎えて真宗高田派に転派(改宗)して再建されました。
 しかし、采女城とともに織田信長の兵火にあい焼失、三代目の折に再建されたと伝えられています。
 采女町には、別に延久2年(1070)真微が本寺北西の字古市場の地に開基した真観寺があり、本尊は大日如来で、同寺はその後杖突坂の中腹東側の高台に移され、その地点で永らく祀られていたが、明治2年(1869)に本尊は成満寺に安置され祀られていました。しかし、昭和51年の火災により焼失、現在そのお姿を見ることが出来ません。その後成満寺は昭和57年に再建されました。

成満寺由緒

本堂に掛かる米田山の扁額

成満寺本堂

山門

鐘楼