本尊千手観音像が祀られた本堂内陣

本堂に掛かる観音禅寺の扁額

観音寺本堂

屋根の上の角のように見えるのが魔伽羅

大願王の扁額があり、左から弘法大師・地蔵菩薩・右は不明

地蔵堂

地蔵堂に掛かる扁額

山門に掛かる慈現山の扁額

山門

 禅宗の一派の黄檗宗の末寺であるが、歴史的に明らかなのは、江戸時代に黄檗宗の寺院となってからである。
 戦国時代、織田信長の兵火により焼失したが、村人たちが観音堂を建て、本尊千手観音像をお祀りしていた。
 その後、元文2年(1737)黄檗宗の僧鎮堂が旅の途中、四日市で一泊した折、夢枕に現れた老人のお告げにより、この地に新しく寺を建て観音寺とした。
 村人たちによって兵火から守られた千手観音像は本堂に今も安置されており、頭体幹部は11世紀頃の制作であろうといわれている。
 山門は四脚門方式で、屋根の両端に異国風の 「魔伽羅」 (サンスクリット語で鰐)が飾られているが、これは黄檗宗特有のものである。黄檗宗大本山宇治萬福寺の諸堂にもこの 「魔伽羅」 が見られる。
 当観音寺の 「魔伽羅」 は、 棟札より寛政12年(1800)に置かれたものであることが分かる。細部の絵様は本堂のものと一致している。

位牌堂

位牌堂に掛かる霊鎮の扁額

境内社

仏像が安置されているが拝顔できない

御堂に掛かる扁額

二重の御堂

観音寺由緒