宝篋印塔
新所の家並み
新所の家並み
大峯山址碑
大正15年(1926)の西国三十三所観音山公園道道標
古くは関西山福聚寺と言います。 嵯峨天皇の御代(820)に開創されたと言われ中世土地の豪族関氏の祈願寺として栄えました。 当時は城山の西方に在り、戦国末期兵災にかかりすべてのものは焼失しましたが幸い御本尊一躰は難を免れました。
徳川家江戸幕府を開くにあたり 「先規の例により将軍の武運長文を祈願すべし」 と観音山と佛供田を残されたのであります。 寛文年間に至り(4代家綱・1665)当地にお堂を建立し関西山観音院と号するようになりました。
当院は東海道開宿の守り佛として後には観音山に西国三十三ヶ所の霊場を開き人々の篤い信仰によって支えられて来ました。今は関町内の信徒講員によって外護せられ、昭和50年4月、平成23年3月、当寺の大修理が行われました。
地蔵菩薩
本堂内陣
観音院本堂
観音院由緒
鈴鹿峠が見える