織田信長の三男信孝公は、本能寺の変で憤死した信長の冥福を祈るため、神戸の住人旧臣大塚俄左エ門長政にメイジこの寺の建立にかかりました。しかし信孝公は羽柴秀吉との後継をめぐる争いに敗れ、天正11年尾張の国野間に於いて自害させられましたので、長政が当山に首を持参し信孝公の菩提寺としました。この墓は信孝公の墓石不祥のため400年忌を迎えた時菩提を弔うため建立したものです。本堂には創建当時からの信孝公の位牌が祀られています。

福蔵寺由緒

関の小万之墓碑

福蔵寺山門

織田信孝の供養塔

薬師堂

本尊薬師如来が祀られた薬師堂内陣

地蔵菩薩

馬頭観世音菩薩・不動明王・元三大師が祀られた観音堂内陣

観音堂

本堂に掛かる清浄山の扁額

本尊阿弥陀如来が祀られた本堂内陣

福蔵寺本堂

 当山は、天台宗真盛宗(本山は滋賀県大津市坂本西教寺)に属します。草創は天正11年織田信長卿三男信孝光の菩提寺として創建されました。本堂のご本尊は阿弥陀如来です。
本堂左のお堂は観音堂で、馬頭観世音菩薩・不動明王・元三大師をお祀りし、道中の安全と関宿の繁栄を祈願しております。
 表門横のお堂は薬師堂で、御本尊は元千光寺の薬師如来で、幾多の変遷を経て明治43年当山に移されたもので、関宿の守護佛として厚く信仰されています。
 裏門横には、仇討烈女・関の小萬の墓と碑があります。客殿横には英照皇太后(孝明天候后)がご宿泊された書院が現存します。(非公開)

    関の小万が亀山通い 月に雪駄が二十五足
関の小万は若くして父の仇を討った烈女と伝えられる。15歳から風雪にもめげず亀山の道場に通って修業につとめ武を練り、天明2年8月本懐を遂げた。享和3年没(妙証信女)地蔵院前には小万の育った宿屋山田屋の跡が現存する。

関の小萬墓

関の小萬碑