「関の曳山」 は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(1688-1703)から伝わるお祭りです。最盛期には16基もの山車があり、横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、また、笛太鼓で祭囃子を奏でながら、家々の軒先をかすめ、人込みをかき分けて巡行する様から、「この上は無い、精一杯である」 という意味で用いられる 「関の山」 という言葉の語源になりました。
 現在、木崎町・大裏町(北裏)・中町三番町・中町四番町の4基の山車が保存されており、祭りは、毎年7月下旬の土・日曜日に開催されています。
 中町は関宿の中央部で、江戸時代には、街道沿いに最も西の一番町から順に六番町まで、また、大裏町(北裏)、南裏を合わせて8基の山車がありました。
 中町三番町山車は、白木造りで、天場高欄下に龍の彫刻が施されていて目を引きますが、全体は質素な造りになっています。電線が設置された大正4年(1915)、巡行の支障になることから、最上層にあたる天障子が撤去されていましたが、平成14年の大修理の際、これを復元しました。また、山車の周囲を飾る紅提灯には、三番町の 「三」 の文字を図案化して用いています。
 見送り幕は、「昇龍・降龍」 の図案で、嘉永年間(1848-53)に制作されたと伝えられています。

中町三番山車説明

問屋場跡碑