松寺の立場跡
輝子頌徳記念碑説明
伊勢国三重郡大矢知村字松寺にて佐藤庄九郎の一女として生まれる。弘化3年(1846)4月4日生まれ。25歳の時に夫が他界。50年1日の如し輝子は教育・裁縫の教育をし、門者千数百人に及ぶと言う(実際には三千人ほどの子弟がいたとも)。大正6年(1917)11月13日病気にて享年72歳で世を去る。翌年3月門人によって碑を建てる。
東海道松寺の立場跡には昔は大きな榎があり街道を往来する旅人や人足などが、籠や荷物を降ろして杖を立て一休みした所を言う。 公の休憩所のことで茶屋などがあり立場茶屋とよんでいた。 当時、桑名宿と四日市宿の間には、五ヶ所の立場があり、北は小向の立場、南は富田の立場があった。
輝子頌徳記念碑