この力石は、江戸末期から明治初期にかけ東海道筋のこの地で営まれていた茶店「橋南のつる」の主・大久保つるが後世に残したものである。石には 「二十七メ」 と刻まれ、その目方が二十七貫目(約100㎏)と想像される。北勢地方で見かける力石は、その多くが神社仏閣の境内にあるが、これは数少ない民家の軒先に保存されていたものである。
 東海道を往来した旅人や篭かき衆等が休んだおりに余力を誇示するがごとく自慢げにこの石を持ち上げたであろう往時の様子が偲ばれる。またこの辺りの地名を 「茶屋の前」 と称するのは、この茶店に由来するものと言い伝えられている。松寺連合自治会

1823年シーボルトはオランダ商館付の医師として来日。
1826年オランダ商館長の江戸幕府随行。
1826年(文政9年)2月15日、早朝長崎出島を出立し、3月27日夜遅く四日市に着く。翌28日5時過ぎには発ち、沿道のナタネが植えてある稲田、麦畑を見、まだ雪のおわれた鎌ヶ岳、御在所岳を眺めている。富田で休憩し、9時ころこの朝明川を渡って広々とした稲田の平野が開けている光景を楽しんでいる。すなわちシーボルトは1826年3月28日9時ころ東海道松寺を江戸へ向かって歩いていた。(シーボルト江戸幕府紀行より)

朝明橋

朝明川の上流域

東海道四日市の街道筋案内

昔の朝明橋

力石

東海道53次の内 四日市