浄泉坊山門

旧本堂鬼瓦 (三つ葉葵の紋がある)

門扉にある三つ葉葵の透かし彫り

 当坊は正治元年(1199)正治寺として小向の寺山に小向御厨神明宮の別当寺として建てられ、禅宗であった。その後、愛洲宗貫が小向に城を構え、延元4年(1339)に朝明郡の地頭職に補せられて伊勢守を名乗り、この寺を菩提寺として愛洞山と言った。
 寛正の頃(1460-65)伊勢左衛門尉真弘の末裔が出家して小向坊浄泉と言って正治寺に住み、応仁元年(1467)蓮如上人が関東より帰洛の節、其の教化を受けた。天正の頃、沼木宗喜や飯田庄之助の城が寺院付近に有り、この城を攻めた滝川一益の兵火にかかり焼失した。今も字名に寺山阿弥陀堂の名が残っている。
 慶長8年(1603)伊勢氏の末裔慶昭が正治寺を再興して小向山浄泉坊と改称し、寛永15年(1683)西本願寺より木仏及び寺号の公称を受けた。山門の扉や屋根瓦に徳川家三つ葉葵が貼ってあり、徳川家に由緒ある桑名藩の奥方の菩提寺であった。参勤交代の大名は、この寺の門前で駕籠から一礼したと言う。
 現本堂は明治43年の建立であり、今度本堂屋根修復工事を記念して旧本堂の鬼瓦をここに安置せり。

鐘楼

浄泉坊本堂

浄泉坊の由来