松平定重の孫定賢から返礼として拝領したものである
重厚な鐘楼
浄土真宗本願寺派。山号を桔梗山という。大同2年(807)、最澄が天神山の西北、お坊カ谷に天台精舎として創建、興国元年(1340)に本願寺第三世覚如上人の教化を受けて、浄土真宗に改宗した。明暦3年(1657)には、桑名藩主松平定良公が有馬温泉の帰途病死し、町屋川の洪水のため足止めとなったため、遺体を3日間安置した。本堂前にある松平家の梅鉢の定紋入り大手水鉢は、万治3年(1660)に定良の従兄の子定重から、また、鐘楼堂は定重の孫定賢から返礼として拝領したものである。
親鸞聖人像
真光寺由緒
明暦3年(1657)第6代桑名藩主松平定良が、有馬温泉湯治の帰途、病死した折、たまたま町屋川の洪水で川止めとなり遺体を3日間、真光寺に安置して手厚く弔った。そのお礼として第7代桑名藩主定重がら万治3年(1660)に拝領したものである。
真光寺本堂
真光寺山門
本堂内陣
手水舎
梅鉢紋が刻まれた手水鉢