魯縞庵義道(1761-1834)は、長円寺11世住職で、漢詩俳句をたしなみ、歴史や文学にも造詣が深く、桑名藩・長島藩の儒学者たちと交流しています。また、「東海道名所図会」 の編集者秋里籬島(りとう)や大阪の本草学者木村兼葭堂(けんかどう)など全国的知られた文化人とも知遇を得ます。
 義道は、「久波奈名所図会」 「桑府名所志」 「縞庵随筆」 (いずれも市指定文化財)など多くの著書を著しており、江戸時代の桑名を知る上で大変貴重な資料となっています。
 また、義道は、18年の歳月をかけて一枚の紙から多くの鶴を折る連鶴を考案し、その一部が「千羽鶴折形」という書物に残されています。義道は。この連鶴の考案によって桑名藩士から鶴の家紋を許されたといわれ、現在もその紋が本堂に掲げられています。
   (桑名市教育委員会)

大坂相撲力士・千田川善太郎墓

長円寺本堂

魯縞庵義道顕彰碑

魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)説明

文化元年(1804)5月没

千田川善太郎と刻まれている