家紋が描かれた本堂の格天井
正面向拝の角柱に枠肘木を置いて唐破風屋根を受けた旧大黒殿
宝形造鉄筋コンクリート造の鐘楼
材質は御影石、一石でつくられた五輪塔で、幅18.5㎝、高さ60㎝
狩野光信(1565-1608)は室町時代の狩野宗家の始祖祐勢正信の直系永徳州信の長子で、永禄8年(1565)生まれ、幼名四郎次郎のち右京進、父から画を学び、豊臣秀吉、徳川家康に仕え画工として障壁画、天井画の名作を残している。
慶長11年(1606)に江戸に下向し、慶長13年(1608)6月4日帰洛の途中桑名で病死し、寿量寺に葬られた。
戦災後、復興都市計画により墓地を縦断したため、墓所は現在の位置に移された。
寿量寺本堂
本堂に掛かる妙延山の扁額
本尊大曼荼羅の祀られた本堂内陣
大黒天
狩野光信の墓解説
狩野光信の墓
昭和10年(1935)頃の建築で登録有形文化財となっている
昭和10年(19359頃の建築で登録有形文化財となっている