森陳明は、文政9年(1826)6月12日に江戸桑名藩邸で藩士小河内殷秋の長男として生まれましたが、、殷秋の兄森陳功に男子がいなかったので養子となりました。
陳明は、藩主松平定敬(1846-1908)が京都所司代在職中に公用人となりました。 戊辰戦争(1868-69)では、東京上野で新政府軍と戦ったあと、定敬に付き従い、函館に渡りましたが、その後降伏しました。
戊辰戦争後、新政府から桑名藩は、戦争の責任者を差し出すように命ぜられ、陳明は藩の全責任を一身に負い、明治2年(1869)11月13日、東京深川の桑名藩邸で切腹しました。
陳明の墓は、桑名の十念寺と東京深川の桑名藩主の菩提寺である霊厳寺にあります。 十念寺の墓の正面には、陳明が仕えた松平定敬の手で 「森陳明之墓」
と記されています。 なお、墓は十念寺境内の西墓所の入口にあります。 平成20年3月 桑名市教育委員会
森陳明之墓説明
森陳明の墓 (左端)
福禄寿
本尊阿弥陀如来が祀られた本堂内陣
十念寺山門
鐘楼
十念寺本堂
七福神殿
閻魔大王