泡洲埼八幡社社標

大正11年(1922)の石燈籠

右 きょういせみち

左 ふなばみち

 江戸時代以前、桑名の町中は町屋川の流れにより自凝洲崎、加良洲崎、泡洲崎の三洲に分かれており、この付近一帯を泡洲崎と称し當社は、往古より泡洲崎一洲の鎮守であった。 慶長年中(1596-1614)町割の時旧地今の一色町より光徳寺門内北側に鎮守され郷司出雲守を神主として奉仕されていた。 明治41年に合祀令が下り桑名宗社に合祀されていたが、昭和25年10月10日、新町産土神として現在地に分祀遷御された。 境内に天保13年(1841)新町北端に建立されていた導石 「右きゃういせみち」 「左ふなばみち」がある。

拝殿に掛かる泡洲埼八幡社の扁額

泡洲埼八幡社拝殿

泡洲埼八幡社解説