瀬名伊予守氏俊陣地跡

瀬名伊予守氏俊陣地跡碑

瀬名陣所跡説明

 永禄3年(1560)5月17日、今川義元の家臣、瀬名氏俊(せなうじとし)隊約200名が先発隊として着陣し、村木(東浦)、追分(大府)、大高、鳴海方面の監視と、大将今川義元が19日に昼食する時の本陣を設営しました。
 その時、瀬名伊予守氏俊が着陣した陣所あとです。古伝によれば、東西15m、南北38mくらいで、これより奥に位置します。
 当時は 「トチの木林」 で、地盤が高く、陣所の形態を留めていましたが、その後は竹林になり、里人は瀬名氏俊をしのび 「セナ藪」、「センノ藪」 と呼んでいます。
 昭和61年(1986)、池の堤防工事によりセナ藪も取り壊され、今は、竹をわずかに残しています。
 (有松桶狭間観光振興協議会)