伊勢国一の鳥居

安政3年(1856)の常夜燈

七里の渡し跡説明

この常夜燈は、江戸や桑名の人達の寄進によって建立され、元は鍛冶町の東海道筋にあったが、交通の邪魔になるため、ここへ移築された。

 桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約28km)あることから、七里の渡と呼ばれました。 七里の渡は、ちょうど伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の 「一の鳥居」 が天明年間(1781-89)に建てられました。
 七里の渡の西側には舟番所、高札場、脇本陣駿河屋、大塚本陣が、七里の渡の南側には舟会所、人馬問屋や丹羽本陣があり、東海道を行き交う人々で賑わい、桑名宿の中心として栄えました。
 昭和33年(1958)、七里の渡跡は三重県指定史跡となりました。 昭和34年(1959)には伊勢湾台風によって、この付近は甚大な被害を受けました。 現在では七里の渡跡の前に堤防が築かれたため、七里の渡跡の風景は、江戸時代とは異なる表情を見せています。

 この鳥居は、東国から来た旅人たちにとって、七里の渡しから桑名に着くと、この鳥居をくぐって伊勢国に入る、東の玄関口にあたるため、「伊勢国一の鳥居」 と呼ばれている。
天明年間(1781-89)に、矢田甚右衛門と大塚与六郎が発起人となり、建立されたもので、20年に一度の式年遷宮ごとに建て替えられる伊勢神宮宇治橋外側の大鳥居を貰い受けて建て替えられている。