当寺は、永承4年(1049)海中から出現した地蔵尊を安置したのが始まりと言われています。
慶長の町割りで現在地に移り、桑名藩主本多家の菩提寺となり、藩主本多忠勝が没した時に、当寺に葬られ、本多忠勝本廟となりました。
「慶長の町割り」 とは、忠勝が、慶長6年(1601)桑名に封ぜられてから積極的に街づくりを行い、町中へ三洲に分れて流れ込んでいた町屋川を上野、金井間あたりから塞ぎ止め、流れを変える等現在の街並みの大部分を完成させた都市計画事業です。
また当寺にまつわる幽霊飴の話が伝えられており、現在でも8月の地蔵盆には幽霊飴が売られます。
浄土寺由緒
有縁無縁供養墓
子育地蔵尊
殉死した中根忠實の墓銘碑
殉死した淡路守梶勝忠の墓銘碑
昭和55年の供養塔
地蔵堂に安置された地蔵菩薩
本多忠勝墓
浄土寺山門
浄土寺本堂
本堂に掛かる袖野山の扁額
本多平八郎忠勝公本廟碑
本多忠勝廟前の鳥居