海津市立大江小学校4年生が作成した薩摩藩治水工事風景の版画

宝暦治水義士之墓所碑

薩摩藩士の墓

総奉行平田靭負の墓

薩摩藩士の墓

海蔵寺本堂

本堂内陣

本堂に掛かる法性山の扁額

 宝暦年間、木曽、長良、揖斐三大川治水工事に際し、御手伝普請(おてつだいぶしん)にお当たった薩摩藩士が、工事の難関に処してよくこれを克服したが、その間悪疫に紛争にまた重大な工事費の超過など責任を負って殉難した24名の墓所である。この24名は凡て割腹した藩士ばかりで、中央は総奉行平田靱負(ゆきえ)正輔(戒名高元院殿節岑了操大居士・宝暦5年5月25日没・行年52歳)の墓碑である。

 この輪切りは、宝暦治水工事(1754~55)の際に薩摩藩士が植えたとされる千本松原(岐阜県海津市)に生えていた松の木である。

千本松原の松の木

薩摩義士墓所説明

三重梅花百観音第52番霊場碑

宝暦治水薩摩義士之碑

父母恩重経碑

工事総奉行平田靭負(ゆきえ)が祀られている

内陣に掛かる海蔵寺の扁額