民家と民家の間に七ツ塚がある
七ツ塚碑
七ツ塚説明
織田信長は、義元を討ち取った後、直ちに全軍を釜ヶ谷に集めて勝鬨を上げ、村人に命じて山裾に沿って等間隔に七ツの穴を一列に掘らせて、大勢の戦死者を埋葬させた。 その内の二つが原形を残していました。里人は七ツ塚、又は石塚と称し、これを取壊す者は、「たたり」があり、命を失った者も居たそうです。今は、平成元年の区画整理に伴い塚を整備して、塚の一つを残し、その一角に碑が建てられました。 有松桶狭間観光振興協議会