明和元年(1764)~嘉永元年(1848)、85歳歿
 伊良湖村の漁夫の出、通称新之丞、貧窮の為病の母を医者に診せる事が出来ず、3年間、伊良湖崎神社に平癒祈願に日参し、 献額の古歌に興味を持ち、40歳頃から文字を覚え、仮名文字や和歌を能くした。
  郡奉行、湯元彦馬が此れを賞揚し、礒丸と名を与える。
 文化8年(1811)京都、柴山持豊に入門、糟屋貞良と名を授かる。 一庶民ながら天皇出御の新嘗祭に紫雲殿え参殿の栄に浴す。 当時極めて稀な事である。

磯丸歌碑

そめそめて あけも美とりも 有松の 里の栄は 色にても知れ

糟谷礒丸説明