現在、粕畠貝塚のある場所は、「観音塚」「元観音」と呼ばれ、享保元年(1716)加藤又兵衛勝貞氏が寄進した「南無十一面観世音大菩薩」と刻まれた碑と、千手観音さまの坐像が安置してあります。笠覆寺(笠寺観音)の縁起によれば、奈良時代の天平年間に此の地に小松寺が建てられ、笠覆寺発祥の地とあります。この近くに住む信心深い住民が御堂を建て、立派な観音像を祀られました。近隣信者の方々は「粕畠かんのんさん」とお慕い申して日々ご参詣され、御線香の絶えることがありませんでした。
平成4年6月に、御堂が取り壊しとなり、縁ありまして西方院の明王堂に入れられました。
厄難を除き、所願を成就してくださる観音さまとして、皆様にご参詣されています。
烏枢沙摩明王の功徳
当院明王堂に安置されている烏枢沙摩明王は、今から八百年程前木曽義仲公の母君が日頃持仏として信仰され、御子出産の折にもその功徳により安産されたと伝えられて居ります。
母君の死後、奥女中いと女がお祀りしておりましたが、義仲公粟津にて戦死されたため、後を追い自害する際かたわらに仕えていた河内、今井の両名にご尊像をたくしました。両名は各地を転々とした後、美濃の小木村に永住し、ご尊像は河内家の秘仏として奥深く祀られてまいりました。
河内家20代彦太郎氏は火災に遭い、家宝一切を焼失しましたが、ご尊像のみは無事に助かりました。氏は悟るところあって当院18世政愉和尚について得度、僧となり堂を建てご尊像を祀られましたが一夜、烏枢沙摩明王、夢枕にたたれ、我が功徳を広く人々に授けんと告げられたため、戒師寺たる笠寺西方院にご尊像を移すことを決意。一堂を建て笠寺明王として安置し、以後多くの善男善女の厚い信仰を集めています。
烏枢沙摩明王の功徳
うすさま明王様は不浄を転じて清浄にする功徳をもっていますので、不浄除の守護仏(便所の守護仏又毒蛇などの虫の害から守って下さる仏)として信仰されております。尚この明王様は安産、婦人病、しもの病に霊験あらたかであります。老若男女を問わずお「下」のお世話をかけないようにと祈願し、心身ともに不浄を除き和やかで幸せな生活ができるようにとご参詣ください。
笠寺明王御縁起・烏枢沙摩明王の功徳
弘法大師 ・ 烏枢沙摩明王 ・ 笠を被った観音菩薩
本堂に掛かる西方院の扁額
水子地蔵尊
十一面観音 ・ 弘法大師
本尊の不動明王像
明王堂
西方院本堂
西方院山門
種子が刻まれた天保2年(1831)の手水石
粕畠観音御縁起
保存樹クスノキ
明王堂内陣