一里塚は、江戸時代の初め、幕府が東海道をはじめとする五街道を整備した際、江戸日本橋を起点として一里(約4㎞)ごとに街道の両側に土を盛り、榎や松を植えて旅人の目印にしたものである。
 東海道の三ツ谷には、かつて一里塚があった。しかし、その場所は、昭和20年代に海蔵川が拡幅された際、川の中に取り込まれてしまった。
「東海道分間之図」(元禄3年1690)によれば、三ツ谷の一里塚は東海道が海蔵川に突き当った辺りに記されている。
 そこで、東海道宿場・伝馬制度制定400周年を記念して、この場所を一里塚跡とし、石碑を建てて後世に伝えることにした。

 一里塚は、江戸日本橋を起点に街道筋に一里毎に里程を示す道標として、約400年前ごろに設置された。この東海道三ツ谷一里塚は、記録によると、この位置より数十メートル南の川の中程にあったと思われる。今年が東海道宿場・伝馬制度制定400周年に当たる事から、この一里塚跡を顕彰するためこれを建てる。
平成13年3月海蔵地区地域社会づくり推進委員会
(碑の裏面より)

三ツ谷一里塚跡碑

三ツ谷一里塚説明

元禄3年(1690)の東海道分間之図