茂福神社社標
神橋と狛犬・石燈籠
神橋の先の大正11年(1922)の二の鳥居
神橋と狛犬・石燈籠
祭神 建速須佐男命ほか八柱
応永28年(1421)摂津守政平が越前朝倉よりこの地に赴任すると、建速須佐男命と天照皇大神をお祀りした。 祭祀を引き継いだ城主茂福掃部輔盈豊は永禄10年(1567)伊勢長島城で謀殺され茂福城も落城した。
その後、盈豊の遺志は受け継がれ祭祀が続けられてきて茂福の産土神となった。
明治42年(1909)鳥出神社へ合祀となり、従来からの祭の日には御神霊を御輿で奉迎し、現在の茂福神社を御旅所として祭りを行ってきた。 昭和25年(1950)鳥出神社から分社、正式に茂福神社として再祀、祭神を旧社に奉還して現在に至る。
境内には、鳥居・石灯籠・狛犬・太鼓橋など、石造物が多く奉納されている。 古くは寛文12年(1672)を始めとして明治・大正・昭和と時を追って奉納されていて、この地の人々の信仰の篤さをのばせている。
富田地区文化財保存会
拝殿内
奥に本殿が見えている
石燈籠
茂福神社由緒
昭和5年(1930)の一の鳥居が建つ参道入口
参道には色々な年代の石燈籠が並んでいる
拝殿に掛かる茂福神社の扁額
茂福神社拝殿
手水舎