阿弥陀如来立像は、像高79㎝の桧材寄木造りで玉眼・漆箔が施されてあり、いわゆる安阿弥風(鎌倉時代初期の仏師快慶の穏やかで優美な作風)の来迎印を結ぶ通形の像である。
袖口と両手が後の補修であり、螺髪前両部も少し削り直された形跡があったが、昭和26年8月の修復時に、原状に近い形に戻された。
製作年代は、作善日記から鎌倉時代の仁治2年(1241)正月頃と推定されている。
像内納入文書は、修復時に発見され、その種類は般若経と阿弥陀経・尊勝陀羅尼・摺仏・作善願文・作善日記である。
特に摺仏は、願主藤原實重が嘉禎4年(1238)2月1日から千日かけて摺ったものである。納入状態は、元文5年(1740)、文化9年(1812)、明治5年(1872)の三回に分けて奉納物が取り出されているため、当時の姿は不明である。
昔、この辺りを海戸尻と呼んだ。そこに、地域の篤き願いの人々の信仰の場、海戸尻道場があった。成徳山善教寺の前身である。
寛正のころ(1460-66)東海・北陸地方を布教中の真宗高田派10世真慧上人が当道場に名号・野袈裟と御書を授けられたと伝えられている。残念ながら当時のものは現存しないが、慶長15年(1610)同高田派13世堯真上人より新たなる名号・野袈裟が下付され、今も本堂に祀られている。
元和3年(1617)11月28日本山より 「善教」 の寺号、正徳元年(1711)8月12日 「成徳」 の山号が授与され、明和8年(1771)7月7日釣鐘が許可された。
本堂は、三代目の堂宇(専修寺如来堂模倣)で、それまでの本堂が築約200年を経て老朽化したため昭和10年(1935)再建、客殿(書院)を新築した。
境内西側の収蔵庫には、国指定重要文化財「阿弥陀如来立像」が安置されている。
成徳山善教寺解説
木造阿弥陀如来立像解説
善教寺寺標
鐘楼
山門
石仏群
収蔵庫(宝物殿)
本堂内陣
善教寺本堂