維新の偉業もようやく成って、明治天皇は江戸を東京と改称された。
 明治元年(1868)9月20日、車駕(しゃが)にて京都を出発し東京へと向かわれた。 24日には四日市に御駐輦、翌25日富田茶屋町広瀬五郎兵衛方に御少憩になり、富田の焼き蛤を御賞味になられ、10月13日東京に入られた。
 その年の12月8日、京都へ帰られる途中、19日に再度五郎兵衛方に御少憩になられた。
  翌明治2年3月7日、京都をお発ちになり、神器を奉じていよいよ東京に遷都されるとき、3月15日、またもや五郎兵衛方に御少憩になられた。
 明治13年陸軍大演習をご覧になるために県下に行幸になると、7月3日、五郎兵衛方に四度目の御少憩になられた。
  広瀬五郎兵衛方の敷地は東海道に沿い、現在の富田小学校正門付近から富田地区市民センターにかけてであった。
 明治天皇御駐輦跡の碑は、公爵近衛文麿の筆である。  
    富田地区文化財保存会

明治天皇御駐輦跡説明

史蹟 明治天皇富田御小憩所阯碑

明治天皇御駐輦跡碑