当山は、養老年中の薬師如来をお祀りする草庵がその始まりとされる。
その養老6年(722)泰澄大師(たいちょうだいし)が一夜の宿とされた時、薬師如来が夢に立たれ、「前にある大木で仏像をつくり、衆生を救え」 と告げられた。夢覚めて大木を見るに、大日如来の御形(おすがた)が映るが如く夢のお告げに任せ、一日一夜にして大日如来を刻まれた。
 この尊像、人々の諸々の願いを叶えるによって、日を置かずして寺となったと伝えられる。
 天文14年(1545)、時の城主南部甲斐守兼綱が菩提所として再建し、永禄7年(1564)5月には、現在地(南部甲斐守の城跡)へ移転したとされる。
 明和4年(1767)、大本山永平寺御直末(おじきまつ)となり、富田六郷の祈願所として善男善女で賑わった。
 時明治に至りては、富田小学校や三重県第二中学校(現四日市高校)の仮校舎となるなど、富田山と言う山号の如く、けんか祭りや鯨供養など、富田の歴史がそのまま当山の歴史である。
 (富田地区文化保存会)

長興寺寺標

伊勢西国27番・三重梅花65番観音霊場碑

長興寺本堂

長興寺由緒

本堂に掛かる富田山の扁額