◎ 本陣・脇本陣
  公用の宿泊・休憩施設として参勤交代の大名などに利用されたのが本陣(1軒)、脇本陣(3軒)で、明治3年(1870)の宿駅制度廃止まで続いていました。しかし、その格式と引き換えに制約や出費も多く、経営は必ずしも楽ではなかったようです。

◎ 茶屋本陣
  正式な本陣に匹敵する規模と格式を持つ茶屋が上方見付近近にあり、「茶屋本陣」 と呼ばれていました。苅部本陣を利用しない大名が休息するほか、参勤交代の大名の出迎えもしていたとされています。

◎ 旅籠屋
  はじめは 「木賃旅籠屋」 といって食事を出さず、旅人が持参した食料を自炊する薪を提供するだけでしたが、元禄(1690)の頃から食事や酒を提供する旅籠屋も増えてきました。保土ヶ谷宿の旅籠屋の数は、寛政12年(1800)には37軒でしたが、天保13年(1842)には69軒となっています。

◎ 茶屋
  往来する旅人が休息するために宿内には茶屋がありました。文政7年(1824)の保土ヶ谷宿には33軒の茶屋があり、金沢横町の茶屋七左衛門が茶屋惣代でした。

水屋脇本陣跡標柱と案内板

保土ヶ谷宿の宿泊・休憩施設案内