江戸時代、東海道が帷子川を渡る地点に架けられていた帷子橋は、絵画に描かれたり、歌や俳句に詠まれるなど、保土ヶ谷宿を代表する風景として知られていました。中でも初代広重の 「東海道五十三次之内保土ヶ谷」 は特に有名です。
 大橋や新町橋などととも呼ばれた帷子橋について、「新編武蔵風土記稿」 の帷子町の項には、「帷子橋、帷子川に架す板橋にて高欄つきなり、長十五間、幅三間、御普請所なり」 という記載がみられます。
 昭和39年(1964)7月に、帷子川の流れがそれまでの相鉄線天王町駅南側から北側に付け替えられたのに伴い、帷子橋の位置も変わりました。かつての帷子橋の跡地は、現在の天王町駅前公園の一部にあたります。
   (横浜市教育委員会)

旧帷子橋跡説明

東海道保土ヶ谷宿周辺案内図