ここの南方、高速道路の下には、もと汐留川が流れ、中央通り(旧東海道)には、昭和39年まで新橋が架かっていました。
 宝永7年(1710)、朝鮮の聘使の来朝に備えて、新井白石の建策に基づき我が国の威光を顕示するため、この新橋の北詰めに、現に外神田門に見られるような城門が建設されて、芝口御門と呼ばれれ、新橋は芝口橋と改称されました。
 城門は橋の北詰めを石垣で囲って枡形とし、橋のたもとの冠木門から枡形に入って右に曲がると、渡櫓があって堅固な門扉が設けられていました。しかしこの芝口御門は建築後15年目の享保9年(1724)正月に焼失して以来、再建されず、石垣も撤去され、芝口橋は新橋の旧称に復しました。
  (中央区教育委員会)

芝口御門跡

芝口御門跡説明