神奈川台の関門跡説明
ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、安政6年(1859)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治4年(1871)に他の関門・番所とともに廃止された。
神奈川台関門跡・袖ヶ浦見晴所の碑
権大納言鳥丸光広の歌碑
思いきや 袖ヶ浦波立ちかえり こに旅寝を重ねべしとは