本覚寺由緒
屋根の上の涅槃仏
観音堂
鐘楼
横浜市名木古木指定のスダジイ
アメリカ領事館跡碑
市内三十三所第14番観世音碑
享保9年(1724)の小机三十三所7番碑
全国塗装業者合同慰霊碑
山門から市街を望む
境内社の稲荷社
本覚寺は、臨済宗の開祖栄西によって、鎌倉時代に草創されたと伝えられる。もとは臨済宗に属していたが、戦国期の権現山の合戦で荒廃し、天文元年(1532)に陽廣和尚が再興し、曹洞宗に改めた。開港当時、ハリスは自ら見分け、渡船場に近く、丘陵上にあり、横浜を眼下に望み、さらには湾内を見通すことができる本覚寺をアメリカ領事館に決めたという。領事館時代に白ペンキを塗られた山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築である。
子育地蔵尊
御神木のイチョウ
本堂内陣
本覚寺本堂
本堂に掛かる本覚寺の扁額