生麦事件碑説明
奮蹟と題し漢文で刻まれている
生麦事件碑
文久2年(1862)8月21日、勅使大原重徳を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人4名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人1名を殺害、2人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩英戦争を引き起こしました。
明治16年(1883)、鶴見の黒川荘三は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し遭難碑を建てました。
生麦事件碑の祠
仮移設場所案内図
生麦事件参考館案内図