寺尾稲荷神社道道標は、旧東海道の鶴見橋(現鶴見川橋)付近から寺尾・小杉方面への分岐点にあった三家稲荷に建てられていたもので、一村一社の神社合祀令によって、大正年間に三家稲荷が鶴見神社境内に移された時に、移されたと思われます。昭和30年代前半頃に、鶴見神社境内に移されていた三家稲荷の鳥居前の土留め作業を行った際、道標が埋没しているのが発見されました。
   正面には、  「馬上安全 寺尾稲荷道」
   右側面位は、「従是廿五丁」
   左側面には、「宝永二乙酉二月初午
            寛延三庚午十月再建
            文政十一戌子四月再建立」
とあり、二度建替えられ、この道標が三代目であり、当時の寺尾稲荷に対する信仰の篤さを伺い知ることができます。
 寺尾稲荷は、寺尾城址の西山麓にい祀られ、現在は地名が馬場となったことから馬場稲荷と呼ばれていますが、古くは寺尾稲荷と呼ばれていました。江戸時代には馬術上達がかなえられる稲荷として知られていました。
  (横浜市教育委員会)

宝永2年、寛延3年再建、文政11年再建之 (左面)

寺尾稲荷道 (正面)

寺尾稲荷道道標説明

浅間神社

本殿

手水石

鶴見の田祭り再興の碑

鶴見神社拝殿

吽形の狛犬

阿形の狛犬

清明宮(左)、祖霊社(右)

関神社(左)、秋葉神社(右)

稲荷神社(左)、大鳥神社(右)