京橋は、慶長8年(1603)の創建とされる日本橋とほぼ同時期に初めて架けられたと伝えられる歴史のある橋です。昭和38年から40年にかけての京橋川の埋立て工事に伴って撤去されましたが、その名残りを留めるものとして、石造の親柱2基と、石およびコンクリート造の親柱1基が残されています。
このうち、二基の石造親柱は、明治8年(1875)に石造アーチ橋に架け替えられた時のものです。江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による
「京橋」 と 「きやうはし」 の橋名が彫られています。
また、石およびコンクリート造の親柱は、大正11年(1922)の拡張工事でアール・デコ風の橋に架け替えられた時のものです。照明設備を備えた近代的な意匠を持ち、「京橋」
と 「きようはし」 の橋名と 「大正11年11月成」 の銅板プレートが付けられています。
明治・大正と二つの時代に設置された親柱は、近代橋梁のデザインの変化を知ることが出来る貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。
(中央区教育委員会)
明治5年2月26日
銀座は全焼し、延焼築地方面に及び焼失戸数4,000戸と称せらる。
東京府知事由利公正は、罹災せる銀座全地域の不燃性建築を企創建築し、政府は国費を以って煉瓦造二階建アーケード式洋風建築を完成す。
煉瓦通りと通称せられ、銀座通り商店街形成の濫觴となりたり。
明治初期我が国文明開化のシンボルとして、銀座には煉瓦建築がなされ、街路照明は、ガス燈が用いられた。
床の煉瓦は最近発掘されたものを、当時のままの 「フランス積み」 で再現。ガス燈の燈柱は、明治7年の実物を使用、燈具は忠実に復元。
京橋の親柱説明
煉瓦とガス燈説明
煉瓦銀座之碑
台座に 「大正11年11月成」 と 「きようはし」 の銅板が埋められている
コンクリート造りの親柱とガス灯
派出所の隣にある親柱