「市場西中町一里塚公園」 は、現存する一里塚の横にあることから、地域の要望により命名され、平成25年3月に整備されました。
(以下、市場の一里塚説明と同文のため中略)
公園の園名柱は一里塚の碑をイメージしてデザインされました。昔から一里塚が地域に愛されて残されてきたように、この 「市場西中町一里塚公園」 が地域に親しまれることを祈ります。
慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。
里程の目標と人馬の休憩のための目安として、江戸日本橋から一里(約4㎞)毎に街道の両側に5間四方(9m四方)の塚を築造し、塚の上には榎を植えました。
ここは江戸より5里目の塚に当たり、市内で最初の一里塚です。明治9年(1877)地租改正にあたり払下げられ、左側の塚が現存しています。昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していました。
昭和8年(1933)6月、「武州橘樹郡市場村一里塚」 (添田坦書)の碑が建立されました。
平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。
市場村一里塚碑
市場一里塚三百七十年顕彰之碑
いちはいしと刻まれた標柱
一里塚跡に建つ稲荷社
市場一里塚由来記碑
市場の一里塚説明
昭和8年当時の市場一里塚の写真
市場西中町一里塚公園案内