阿弥陀如来ほか

弘安2年(1272)の延命子育地蔵尊

本堂(手前に恵比寿神と大黒神)

◎ 延命子育地蔵尊の由来
  弘安2年(1272)7月、今より706年前鎌倉戦士を祀るため六郷川の渡守宇吉なる者が建立したるもの也。その功徳は熱病、吹出物、皮膚病一切を治したので、わけてイボ地蔵尊の称あり。

◎ 十一面千手観音菩薩
  仏師法眼定朝作(平安中期)という。紫式部の念持仏と云われ、むかし近江国石山寺より愚蔵坊昭西(当寺開山)が奉持して東国へ下向の際、故ありて一応山専念寺(この寺号は知恩院大僧正将軍家お招きの途次、お立ち寄り下賜されたもの也)を建立安置せり。その後、毎月17日を縁日として市がたった。これをボロ市と称した。これが市場村名称の起縁である。

◎ 夜光石(仙元宮として祀る)
  飛石とも云われ、5寸8分の鰹節型の石で、天正年間富士大噴火のみぎり、飛来せしもの。夜毎妖しい光を発せし故、この名あり。

縁起

富士浅間大菩薩

富士浅間社

伏見稲荷