蒲田八幡神社は、宇佐八幡宮を勧請せる由緒深き神社にして、其の年暦を伝へざるも更に古社なることは、境内小圓墳伝説等史実の明示するところとなる。案ずるに、当地既に新石器時代より住民の生活するところとなり、縄文式文化とともに原始信仰の発祥を来たし、農耕の興りし弥生式文化時代を経て、斎場の形作られし聖地なり。
慶長年間、新宿分村に際し、行基作の神体三座の中春日の像一体を蒲田神社より分かち、鎮守神体とせしに神霊あらたかなりしと伝ふ。
明治維新となり、神仏分離により春日の像を別当妙安寺に安置す。
戦災に遭遇するも忽ち再建の気運勃興せり。戦後、復興し行く蒲田の中心なるを以って、昭和24年8月新宿八幡神社を改め蒲田八幡神社と称へ、氏子崇敬者の奉賛に依り昭和33年8月8日御社殿復興遷宮祭を執行す。
社務所
蒲田八幡神社拝殿
手水舎
阿形の狛犬
吽形の狛犬
鳥居
蒲田八幡神社由緒書
境内社の天祖神社
神庫
境内社の満願火伏稲荷神社
天祖神社石鳥居