江戸時代、重罪を犯し斬罪となった者の首は、東海道を往来する人々への見せしめとされました。宿はずれの新町橋際にあった獄門台に乗せられ、罪状を書いた捨札を立て、番小屋には番人を置き、数日間晒したといいます。
これらの晒し首で引取人のないものを哀れんで、霊を慰めるためいつの頃か地蔵尊が安置され供養されるようになりました。
(三島市教育委員会)
頭に石を乗せた地蔵菩薩
地蔵菩薩坐像
無縁法界地蔵尊説明
妙法三界萬霊塔
頭に石をおいた地蔵尊
文化2年(1805)の普門品経
南無阿弥陀仏名号碑