箱根旧街道は、1601年から江戸幕府により江戸から京都まで整備された東海道の一部です。両側には松や杉が並木として植えられ通行の人や馬を保護し、また一里塚を築いて旅人の目安としていたようです。
 この旧街道は急な坂道なので、人も馬も滑って大変なところでした。そこで幕府は、1680年に、それまでの竹を敷いてあったものから、石を敷き詰めて 「石畳の道」 に改修したものです。その石畳を1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3.6mを修理した」 とあり、当時の道幅がわかります。
 現在、この道は石畳風に整備されている所と、その下には往時の石畳が埋まっている所とがあります。
 ここでは、両側の松並木敷のうち、南側の並木敷だけ復元したもので、この先の初音原の松並木に続いています。
 江戸時代には、現在の東海病院の敷地には愛宕社ほかの社寺がありましたが、現在は、「愛宕山」 と刻んだ碑だけが頭上のこんもりとした小山に残っています。
   (三島市教育委員会)

箱根旧街道 愛宕坂

愛宕坂説明

愛宕社の石祠

右手の林に愛宕山の碑がある

愛宕山の石碑