祠の中の馬頭観音

慶長9年(1604)江戸幕府は江戸を中心として、日本各地へ通じる五街道を整備した。中でも江戸と京都・大阪を結ぶ東海道は一番の主要街道であった。この東海道のうち最大の難所は、小田原宿と三島宿を結ぶ、標高845mの箱根峠を越える箱根八里(約32㎞)の区間であり、箱根旧街道と呼ばれる、
 現在、この区間の車道の最大勾配(傾斜)は12%だが、この道は平均20%、最大40%なので大変な急坂であったことがわかる。
 ローム層の土で大変滑りやすい道なので、延宝8年(1680)頃には、宿内を除くほぼ全線が幅二間(約3.6m)の石畳に改修された。その他街道整備として、風雪をしのぐための並木敷や、道のりを正確にするための一里塚がつくられた。
 参勤交代や伊勢参りなど、旅が恒常化するとともに賑わった旧街道も、明治22年(1889)東海道線の開通や、大正12年(1923)国道1号線の施設によって衰退した。
 ここ題目坂は、玉沢妙法華寺への道程を示す題目石から名付けられたと言われている。
 題目碑は、現在法善寺に移されている。
   (三島市教育委員会)

題目坂途中の右手にある祠

箱根旧街道説明