手水舎

役行者

平蔵地蔵

大日本帝国議会原始紀の碑

特別賛政員の碑

平蔵地蔵の由来碑

貴族院・衆議院両院の議員名が刻まれてる

天井の纏図

文字額

雌雄二鶏図

海雲寺山門

烏枢沙摩明王

明王堂

 江戸の末1860年頃、鈴ヶ森刑場の番人をしながら交替で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた。 その一人 「平蔵」 は或る日多額の金を拾ったが、落とし主を探し当然のこととして金を返し、お礼の小判を断った。そのことを知らされた仲間の者は金を山分けすれば三人とも乞食を止めて暮らせたのにと腹を立てて正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させてしまった。これを聞いた金の落とし主である仙台屋敷に住む若い侍が平蔵の遺体を引きとり、青物横丁の松並木の所に手厚く葬り、そこに石の地蔵尊を建て供養しつづけたという。(由来碑より)

文久元年(1861)の雌雄二鶏図

本堂内に架かる扁額

海雲寺本堂

力石