赤穂浪士の一人、神崎与五郎の詫状文伝説を伝えるこの茶屋は、畑宿と箱根宿のちょうど中程にあり、旅人が一休みするには、適当な場所でした。当時この茶屋は箱根8里間で13軒あり、甘酒を求める旅人で賑わいました。

地蔵菩薩

甘酒茶屋説明

病む子をば 預けて帰る旅の空 心はここに残りこそすれ

 江戸時代、徳川幕府は人々や物資の往来が盛んになるように街道の整備を行いました。東海道はその中でも主要な街道で、この箱根地域(湯本~箱根関所間、通称 「東坂」 )は道が大変険しく、当時の旅人が普通1日10里(1里は4㎞)を旅するところ、箱根地域では8里しか歩けなかったようです。
 道中には 「甘酒」 をふるまう茶屋が設けられるようになり、文政年間(1818-29)には、「甘酒茶屋」 と記録があり、箱根地域には9ヶ所設けられていたようです。この地には4軒あり、付近の追込坂上、樫木坂上、猿滑坂下にもありました。
 しかし、明治13年(1880)、国道1号の開通などから街道を歩く人々が減少して、現在ではこの地に1軒が残るのみとなっています。

甘酒茶屋碑

甘酒茶屋内部

甘酒茶屋正面

甘酒茶屋について

甘酒茶屋の由来碑

親鸞聖人詠歌

大正時代の甘酒茶屋

明治天皇御駐蹕之蹟碑