菅原神社
勧請の年月不詳ではあるが、口碑によれば当村創立の頃早くも箱根泰禄山に奉斎する駒形大神を勧請して、駒形大権現と崇めた。
宝暦7丁丑6月高栄山神守源寺別当社殿を再建し、明治維新の際別当持ちを配され、明治6年7月30日に列した。
明治44年無格社、愛宕神社、同山神々社を合祀した。
(案内板より)
疱瘡云々と刻まれた石碑
太子堂
社伝によると明和3年(1766)当地に疱瘡が蔓延しました。この時、平吉(村人)の子三次郎(13歳)に、「我・照心明神を信ぜば障難なかるべし」
と神託があり、村人が信崇したところ罹病していた70人あまりの子供達は全快し、天明3年にも再び流行しましたが、この時も霊験があり土地の子供達は無事でした。
社殿はこの時新造され、大勢の参拝の人達、赤い幟旗の林立で茶店がでるほど賑わいました。その後、火災に遇いましたが、再建され今でも無病息災を祈って訪れる人が絶えません。
(案内板より)
手水石
駒形神社拝殿
照心明神